パパのものになりなさいby鈴置万里子

 「お誕生日おめでとう。グンマ、キンタローも」
 あいも変らぬ親バカぶりを発揮するマジックの企画で、誕生日の近い二人のバースデー・パーティーが、ガンマ団本部で行われていた。
 「ありがとう、お父さま」
 にこにこと素直にお礼を言うグンマは相変わらずなにも考えていない。
 グンマは頭が悪いわけではないが、一般常識というものを知らなかった。育ての親である高松博士のマッドサイエンシスト的傾向を受け継いでいる上にひどく甘やかされて育っている。
 対して、極めてふつうの感覚の持ち主であるキンタローは苦い顔だ。
 二十歳もとうに過ぎた男が、なにが楽しくて身内だけの誕生祝いイベントに出席を強要されなければならないのか。
 「キンタロー様、おめでとうございます」
 「…あ、ありがとう」
 しかし、キンタローにとっては恩人である高松に満面の笑顔でそんなふうに言われては、ひきつりながらもそう返すしかない。
 きれいに並べられた料理を眺めて、キンタローはため息を吐く。
 「わーい、おいしそうだねえ、キンタロー」
 無邪気に従弟に同意を求めるグンマにとっては、毎年恒例の行事だった。
 こういう環境で育つと、ここまでおめでたい性格の人間ができるのかと変に納得しながら、キンタローは笑顔全開のマジックと高松を見比べる。
 彼らは秘石眼という超常の力を持つ青の一族だった。
 正確にはマジックとグンマ親子とキンタロー。そして、ここにはいないが、マジックの弟のハーレムとサービス、そして隔離された部屋で眠るマジックの血を色濃く受け継いだコタローと。
 青い秘石眼を持つ彼らは調和を重んじる穏やかな赤の一族に対して、血と争いと破壊を好むといわれている。
 事実、マジックを筆頭に青の一族の人間たちはみな自己中心的で、目的のためには手段を選ばない非情さを持っていた。能天気なグンマでさえ、あまり他人を思いやる心は持っていない。
 彼らにとっては身内同士での裏切りや諍いも当たり前だったから、他人に対してはさらに容赦という言葉を知らなかった。
 特にマジックはガンマ団という暗殺集団を率いて世界制服を企み、刃向かうものは文字通り皆殺しにしてきた。
 冷酷非情の代名詞のようなマジックはけれど今では総帥の地位を退き、悠々自適の隠居生活を楽しんでいるのだった。
 ガンマ団も新しい総帥の下、百八十度方針を変えている。
 「どうしたんだい、キンタロー?おまえたちの好きなものばかり用意したんだよ」
 マジックはせっかくの祝いの席だというのに、にこりともしない甥に優しく声をかける。
 「どうして、あいつがいないんだ…」
 「?」
 「どうしてここにシンタローがいないんだって、聞いてんだよ」
 「シンちゃんは仕事が忙しくてね」
 誘ったけど断られてしまったんだよと、マジックが残念そうに言う。
 シンタローの名前を笑顔のまま口にしたマジックを、キンタローは非難するように見た。
 この馬鹿馬鹿しい誕生日パーティーも、楽しそうなマジックもグンマも、高松も。
 なにもかも、キンタローには気に入らなかった。
 最初からそうだったように、彼らは当たり前みたいに家族として振舞っている。
 グンマは自然体でマジックをお父様と呼ぶし、キンタローも身内の一人として扱われていた。
 だけど、肝心なピースが外れているのだ。
 きっとこれまではずっとこの場の中心にいたはずの人間がいない。
 キンタローはシンタローの不在に苛立ちを隠せなかった。
 たしかに、今のシンタローは青の一族と血の繋がりはない。なによりも、ガンマ団の新総帥に就任したばかりで忙しいのはわかっている。
 マジックという独裁者の旗の下に率いられてきた負の存在でしかなかった組織を、シンタローはその存在意義から根こそぎ変えてしまおうとしていた。
 力と恐怖で世界を支配しようとしていたマジックは何千人に一人というカリスマの持ち主だったから、引退したからといって、その影響力は簡単に消えるようなものではない。
 シンタローが組織を完全に掌握するにはまだまだ時間が必要だった。
 だがシンタローは、マジックのカリスマとは違う意味で人をひきつける魅力を持っている。
 秘石眼を持つ赤と青の対立する一族でさえ心を奪われたそれにキンタローも逆らえなかったから。
 キンタローはシンタローを憎んでいたはずなのに、気がつけば変に肩入れする気持ちがあるのだった。
 「あんたもサービスも、最低だよ。」
 「キンタロー?」
 「なんで、そんなふうに笑ってられるんだ?」
 マジック、と呼び捨てにするには恐ろしすぎる相手だったけれど、キンタローは強大な力を秘めた双眸と正面から向かい合う。
 多忙を理由にシンタローがここにいないのはどうしてなのか。
 きっとシンタローは身内の集まりに血の繋がりがない人間が顔を出すことを遠慮したのだろう。
 ついこの間までは本当の親子だと信じていたし、シンタローを育てたのはマジックには違いないけれど。
 だからこそよけい、実の息子であるグンマといっしょに誕生日を祝ってもらうわけにはいかないと考えたのだろう。そう、キンタローでさえ見当がつくことなのに、マジックは本当にわからないのだろうか。
 それとも、わからないふりをしているだけなのか。
 「あいつは……あんたたちにジャンの身代わりみたいに思われてたことくらい知ってたよ。一族の誰とも似ていない黒い髪も目も、本当はいやでたまらなかったのに。それでも笑っていられたのは、あんたたちのことを家族だって信じてたからだろう?」
 マジックとサービスが兄弟で一人の男を取り合い、果たせずに妄執を引きずっていたことを知ってからも。
 血の絆はシンタローの心の支えだった。
 「だれが、そんな話を……」
 気色ばむマジックはまさかジャンとのいきさつをシンタローが知っていたとは思いもよらない。
 「あんたたちだって、別に秘密にしてたわけじゃないだろう」
 そんな話はどこからだって漏れるものだ。
 ましてシンタローは若くして死んだはずの亡霊にそっくりだったのだから。
 「それに、あんたたちの態度もみえみえだったんだろ」
 マジックもサービスも、シンタローだけを溺愛しすぎたのだ。
 コタローという、金の髪に青い目を持った、青の一族の証を備えた子供が生まれてからも。
 二人はシンタローにばかり盲目的な愛情を注いできたのではなかったか。
 しかもマジックはシンタローを溺愛するだけでは足りず、無理やり体を繋げることさえしたのだ。
 愛していると口では言いながら拒絶の言葉には一切耳を貸そうとしないマジックに、従順を装うしかシンタローには術がなかったことをキンタローは知っている。
 「シンタローはずっと、一族の証である秘石眼を持ってないことを苦にしてただろ」
 後継者として指名されていたにも関わらず、一族と同じ能力を持たないことでマジックに失望され疎まれることをなによりも恐れていた。
 だからシンタローは自分勝手な愛情を押し付けるばかりの、父親という名の独裁者を責める言葉を口にすることができなかったのだ。
 それでも、体を繋げることでしか親子の情を確認できないような関係を、シンタローはずっと清算したがっていた。
 ただそんなふうにシンタローが逃れたがっていても、マジックは強大な力を持ち、すべてを支配する男だった。
 愛されること、求められること、執着されることにシンタローは疲れ果てていたのだった。
 「それでも、あんたたちがちゃんと、シンタロー自身を見てたっていうんだったら良かったんだろうけどさ」
 キンタローは同じ体を共有していて、一枚のコインの表と裏のような関係だったから、その頃のシンタローの気持ちがなんとなくわかるのだ。
 「シンタローをかまうふりで、別の人間の面影を重ねてただろ?それって、すげー残酷だよな。しかも、あんたたちはいかにもシンタローのためを思ってるみたいなそぶりで愛情を押し付けてたじゃないか」
 「……キンタロー…」
 口を開きかけたマジックの前に、グンマがかばうよう立ちはだかる。
 「お父様は本当にシンちゃんが好きだったよ。だれかの身代わりなんかじゃないってば!たしかにお父様はちょっと変態だから、愛情表現が屈折してて、縛ったりとか道具や薬を使ったり、色々シンちゃんがいやがることいっぱいしちゃってたみたいだけど…」
 「グンマ……」
 「グンマさま、フォローになってません」
 医者であり、様々な博士号も持つ高松がマジックに頼まれて道具やら薬の類を用意しているのをグンマは見ていたから。
 それ以上本当のことを言わないように高松は慌ててグンマの口をふさいだ。
 「だったら、なんで今あいつを一人にしてるんだよ」
 パプワ島から帰ってきて、ガンマ団の新総帥に就任したばかりなのだ。
 「オレはあいつが総帥になるのを反対したけど、それだって、あいつにばっかり貧乏くじひかせるみたいな気がしたからだ」
 キンタローは挑むようにマジックを見る。
 一番大変な役目をシンタローにばかり背負わせているのではないかと。
 パプワ島ですべての真実が明らかにされたときもそうだった。
 「なんだかんだ言って、オレはこうやって表に出てこれたし、ちゃんと自分の体があって、家族みたいなやつもいる。だけど、あいつは?」
 生まれてきた意味も存在も意思も、すべてを否定された。
 ジャンの身代わりみたいに生かされていたことだけじゃなく。
 サービスはマジックの本当の息子であるグンマとシンタローをすりかえて復讐の道具にした。その体もニセモノとしての存在意義しか与えられてなくて。
 シンタローの魂だけ、影として弾き飛ばされたのだった。
 一度はそんなふうになにもかもを失ったけど。
 それでも惑わずに立ち続けていられるシンタローの強さがキンタローには眩しかったけれど。
 反面、手助けできない自分が悲しくもある。
 「本当なら、今日はシンタローの誕生日でもあるだろう?」
 きっとマジックは、これまではどんなに嫌がられても強引に祝ってきたのだろう。
 「…なのに、どうして、よりによってあんたがあいつを一人にするんだよ」
 誕生日を祝うことには特別な意味がある。
 生まれてきてよかったねと、だれにでもいいから言われたいわけじゃなくて。
 今のシンタローにとって一番うれしいのは、たぶんマジックからの言葉のはず。
 血の繋がりがなくても。
 親子じゃなくても。
 この世界にあって良かったと、心の底から思えるよう。
 「プレゼントだけ渡せばいいってもんじゃないだろう」
 「だから、シンちゃんは仕事中なんだよ」
 大事な遠征中だから邪魔をしてはいけないとマジックはキンタローを諭す。
 本当は、らしくもなくマジックはシンタローの意思を尊重しようとしているのだ。
 もしかしたらシンタローは自分と会いたくないのかもしれないから。
 マジックの愛情に変わりはないけれど、以前と決定的に違うことがひとつある。
 それはマジックがシンタローの不興を買うことをひどく恐れているということだ。
 基本的にマジックは人にどう思われようが気にする人間ではなかったけれど。
 これまでは親子の絆に甘えていた自覚がマジックにももちろんあって。
 これまでは強引に奪うことしか求愛の方法を知らなかったから、他のやりかたがわからない。
 いやがられても逃げられても、最後にはシンタローが許すことがわかっていたから、マジックも傍若無人に振舞えた。
 だが、今はシンタローの気持ちを確認してからでないと指一本触れられそうもなかった。
 「そんなの、あんたが遠慮するようなタマかよ」
 キンタローだって、自分で代わりがつとまるものならなんだってする。
 だけど、シンタローに情と名のつくもののすべてを一から教え込んだのはマジックだから。
 「お父様」
 「なんだい、グンマ」
 「ぼくもキンタローの意見に賛成だよ。シンちゃんはきっと、自分の誕生日だってことも今頃は忘れちゃってると思うから、教えてあげたほうがいいと思うんだ」
 「グンマ……」
 「それにね。シンちゃんって、すごいもてるから。油断すると、だれかにとられちゃうかもしれないよ?それが人間ならいいんだけど……」
 「まったくな…」
 シンタローは人外の生き物にももてまくりだったなと、キンタローも遠い目をする。
 「シンちゃんのおよめさんが雌雄同体なんて言ったら、ショックでしょう?もしかしたらシンちゃんが子供産む側にさせられちゃうかもしれないしね」
 パプワ島のあやしい生き物たちを思い出すグンマの言葉には実感がこもっている。
 それにはさすがのマジックも反論の言葉がみつからなかった。






 「シンタロー様。今夜の警護の当番についてですが…」
 シンタローは親衛隊員のどん太の報告を途中でさえぎる。
 「いい、特に気をつかうな。」
 「しかし…」
 親衛隊の重要な任務は総帥の身辺警護だ。プライベートな時間にも護衛はつく。ましてや、今は遠征中で戦闘体制をとっている最中なのだ。
 必要なら夜伽もするし、前総帥のときにはそういった意味合いも兼ねていた。
 それはシンタローも知っていたけれど、そんなふうに気軽に情を交わすつもりも、必要以上に人を近くに寄せるつもりもなかった。
 「どん太、本当に…」
 シンタローは一人の方が気が楽だった。
 実際、今のガンマ団でシンタローより腕の立つ人間はいないから、護衛といっても盾になるくらいしか意味はない。
 「お疲れですか?」
 神経が尖っているときはことさら一人でいたがるシンタローの性分を飲み込んでいるどん太は新総帥の就任に伴い、側近としてとりたてられた。
 どん太はだから前総帥であるマジックのことはほとんど知らない。
 以前からの側近たちはシンタローの背後に赤い軍服の影を見ることをやめられずにいたから。
 変な気兼ねをしないどん太の率直な物言いを、シンタローはむしろ好感を持って受け止めていた。
 「前線にも一人で立ちたがるのは悪いくせです、シンタロー総帥」
 「それが一番てっとりばやいからな」
 「それでは我々がなんのためにそばにいるのかわかりません」
 「デスクワークより、体を動かしてるほうが性に合うんだから大目に見てくれよ」
 案じる言葉にシンタローは笑ってみせる。
 少なくとも、命のやりとりをしている瞬間は、よけいなことを考えなくてすむ。
 「しかし、少々オーバーワーク気味では?」
 「今は休んでいるひまはないだろう。オレのやりかたに不満を持っている連中も多い。特に特戦部隊はこれまで暴れたい放題だったから、ストップをかけられるのになれていないしな」
 隊長のハーレム以下、狂犬のような連中に待てを教えるほうが下手な敵と戦うより大変だ。
 内にも外にも目配りしていないと、銃弾はどこから飛んでくるかわからない。
 それでもどん太が気遣わしげな目を向けてくるのにシンタローは首を振る。
 「本当に。オレは貧乏性だからな。むしろ忙しいほうが落ち着く」
 そうすれば夢も見ない眠りにつけるからという言葉をシンタローはそっと胸の中に飲み込んでおく。
 多忙ではあるが、必要以上に動き回っている自覚はシンタローにもないわけではない。
 それでも今はまだ歩き続けることをやめたら、そのまま足元が抜け落ちてしまいそうな気がするのだ。
 急がなければ。
 もっと早く前に足を運ばなければ。
 戦い続けなければ生きていけない。
 否、生きる資格さえ、ない気がする………。
 それは、パプワ島での最後の日から消えないシンタローの悪夢だった。
 シンタローがジャンの身代わりでさえない、出来損ないのコピーだったという事実を突きつけられた時。
 それは、シンタローの心の中の深い部分に決定的な亀裂を走らせた。
 以前からサービスやマジックが他の人間の面影を自分に重ねていることには気がついていた。けれどシンタローが二人の愛情を疑ったことはなかった。
 特にマジックにとって家族というのは無条件に特別な存在だと知っていたから。
 他人というものを無意識に敵とみなす習性を持った男のその線引きは明確で、天国と地獄ほどにかけられる情けの色が違っていた
 だから、サービスに復讐の道具として利用されたことも。マジックの息子ではなかったことも。
 そこまではシンタローにも許容範囲だったのだ。
 多分、マジックにも。
 だからこそ真実を知ったときのマジックの愕然とした表情を、シンタローは決して忘れないだろう。
 その瞬間、シンタローはマジックにとって家族でもなんでもない、赤の他人以下の存在だった。
 本来の主人格であるキンタローを封じるために植え付けられた影は時が来れば消えうせるはずだった。
 なのに、シンタローという名前の自我を持って影は一人歩きをはじめた。
 それでもシンタローを自分の息子だと言って。
 マジックは変わらず抱きしめてくれようとしたけれど。
 それが親子として過ごした二十年以上の年月を惜しむ感傷のようなものだと、腹のどこかでシンタローはわかっていた気がする。
 新しい体を手に入れて。シンタローが望んだ姿のままにこの世界に存在することを許された日から、煩悶の日々は始まった。
 自分はなにもので、なんのために存在するのか。
 なぜ、生きているのか。
 マジックの息子であることがすべてだったシンタローはあれからずっと、自分自身への問いかけをやめることができずにいるのだった。










 月がきれいな夜に誘われるようにシンタローはベッドを抜け出し、厳重な警備がされている本営からさまよいでた。
 戦場にもひとしく月光は冴えた色を投げかけるから。
 シンタローは白々とした儚い光を浴びて立ちつくす。
 眠る気にはなれなかったが、何日もまともに寝ていないせいで、意識の半分は霞がかかったようにどこか朦朧としていた。
 今暗殺者に狙われたら、どうしようもないだろうなと。
 丸腰の身を無防備に晒す愚かさを嘲笑う気持ちと、自棄のような投げやりさとの狭間でシンタローはぼんやりとした目を虚空に向けていた。
 その時だ。
 シンタローを呼ぶ声がしたのは。
 「シンタロー」
 気遣わしげな声だったが、シンタローの心にまでは届かなかった。
 シンタローはてっきり幻聴だと思ったのだ。
 聞き知った低いテノールにそんなふうに名前を呼ばれることを、己はそれほど切望していたのかと。
 苦く自嘲する。
 「シンタロー?」
 振り向かずにいると、苛立ったような響きが声音に混じる。
 常に彼を支配していたその声の持ち主を、シンタローはよく知っていた。
 その独裁者の名は、マジック。
 笑いながら他人を殺すことのできるマジックの腕に抱え込まれるようにして育ったシンタローは、物心つく頃には自分に触れる優しい手が血まみれだということを理解していた。
 マジックからはいつも赤い錆の匂いがして、いつしかそれはシンタロー自身のものとなった。
 「どうして…」
 ついに狂気が追いついたのだろうかとシンタローは両手で顔を覆う。
 幼い頃、シンタローの世界はマジックを中心にして回っていた。
 カリスマとして仰がれる男を父親だと信じていて、なのに望まれるがままシンタローは二重のタブーを受け入れた。
 けれど、いつかきっとその重さに耐え切れなくなる日がくるだろうという予感があったから。
 それが今だと、シンタローには信じられた。
 なぜなら、マジックがわざわざシンタローに会いにくる理由がない。
 本物のジャンもサービスとともにマジックのそばにいるはずだったし。息子のグンマと見失っていた甥を取り戻して、失われた年月を埋めているはずのマジックがいまさらシンタローを必要とするはずもなく。
 変わらずたくましい腕に胸に抱きこまれても、シンタローは目を開けることはできなかった。
 これは本当に自分の体なのだろうか。
 掌に感じるぬくもりは本物なのか。
 なにもかもを疑う気持ちのまま。
 シンタローはそこにいるはずのない人に声に出して問いたくなる。
 自分自身の存在意義を。
 「月がきれいだね」
 耳元で声がしてもまだ半信半疑でシンタローは瞬きを繰り返した。
 「マジック…?」
 マジックはシンタローがひどく心細い目で自分を見上げるのに胸が痛んだ。
 シンタローはこんなにさびしい顔をしただろうか。
 滑らかな頬に手を伸ばしかけて。
 マジックはついと身を引かれた。
 拒絶の仕草に傷つきはしたものの、マジックは怒りはしなかった。
 「シンタロー、少し遅くなったが、誕生日おめでとう」
 「…え?」
 呆然と見開かれた黒い瞳には、疑問だけを映している。
 期待することをとうに諦めたそれは透明な輝きを宿して月光を弾いた。
 「…なに?どう……。」
 聞きかけて、シンタローは唇を噛む。
 言葉を飲み込むのは、あの日以来のくせだった。
 なにも言わないし、聞かない。
 だれを責めるでもなく。
 自分の身に起こったことのすべてを受け入れて。
 感情をすべて削ぎ落としてシンタローは瞳を伏せる。
 ただ、シンタローはこれ以上傷つきたくないだけだ。
 だから、目の前にいるマジックが現実だとは思えずに。
 戸惑いで心を揺らしている。
 これは、夢なのか。現なのか。
 聞きたくて、聞けない。
 「シンタロー、目をあけて。ちゃんと、私を見ておくれ」
 「……マジック?」
 シンタローは不思議そうに首をかしげる。
 「おかしいよな…。こんなところにいるはずがないのに…」
 本物みたいな手触りだと、シンタローは無表情のまま独り言のように呟く。
 「おまえに言わなければならないことが、たくさんある」
 マジックは凍えた瞳に胸をつかまれた。
 当然のようにマジックに向けられていた甘えもわがままも、慕わしさも、拒絶の色さえそこにはない。
 だからマジックは、言葉もなく強くシンタローを抱きしめた。
 自分たちの間にあるものはなにも変わらないのだと言ってやりたかった。
 シンタローはなにも悪くないし、傷つくことも、引け目に思うこともないのだと。
 新総帥として立派に後を継いでくれたことを誇りに思っていることをマジックは伝えたかった。
 なによりも、マジックはシンタローを変わらず愛している。
 ああ、本当に夢なんだなと、シンタローは笑う。
 「マジックがオレを愛してるわけないんだよ」
 「どうして?」
 「だって、オレがジャンに似てたから手を出しただけだろうが。サービスと張り合ってたことくらい知ってるって。その気になれば、男でも女でも選り取りみどりだったくせに悪趣味にもほどがあるって」
 実際にマジックが他の人間を相手にしている姿をシンタローは何度も見ている。
 マジックにとってはそんなふうに気安い行為なのだと、そのたびに思い知らされたから。
 体を繋げることの罪の重さに怯えていたのは自分だけだったのだと。
 シンタローは頭を垂れるしかない。
 「おまえは特別だ。無理強いをしてでも、手に入れたかった相手は他にいない」
 だけど、マジックにも悔いる気持ちもある。自分しか見えないよう当然のように受け入れることを覚えさせてしまったことを。
 幼い心に刷り込んで関係を繋げることを強制してきた。
 「特別って、なにが?」
 聞きながらシンタローは、夢の中でさえ、なにもなかったころには戻れないのだと痛いほど感じていた。
 以前なら当然のように受け入れていたマジックの愛情も気遣いも、どうしてなのだろうと理由を考えることから始めてしまう。
 愛されているなんて、どうして疑いもせずに思えるのか?
 それがたとえ親子であっても、愛情を注いでもらえることを当然みたいに考えていた自分はなんて傲慢で幸福な人間だったのだろう。
 「おまえを愛しているということだ」
 変わらずに、ずっと。
 乞い願う言葉を口にするマジックにシンタローは問い返す。
 マジックがまだなにかシンタローから得たいものがあるなんて、信じられなかった。
 「オレはジャンじゃない」
 「当たり前だ」
 「あんたの息子でもない」
 「知っている」
 「この体だって、もらいものみたいなもんなんだぜ?」
 奇跡みたいに手に入れたけど。
 本当は自分自身のものなど何一つなかったことをシンタローは知っている。
 そう、なにもないのだ。
 なのに空っぽのシンタローを求める言葉を口にするマジックが不思議でならない。
 「やっぱり、オレが秘石を奪って逃げたことが許せないとか?」
 それとも、唯一シンタローだけがマジックを拒絶したからだろうか。
 そして、今も拒絶の言葉を吐き続けているから手に入れたいのかと、シンタローは不意に思い至った気がする。
 「………あんたはきっと、自分の思い通りにならないオレが面白くないんだろう」
 「そうじゃない」
 だがマジックの否定にシンタローは耳を貸さない。
 「だって、あんたは欲しいものを手に入れることに慣れてるからさ。それが、たとえ力づくでも。これまで、手に入らなかったものってないんだろう?」
 シンタローを手に入れなければいけない気がしているだけだろうと。
 シンタローはきっと、マジックの咽に刺さる抜けない小骨のようなものなのだ。
 『にせもの』なのに。
 マジックがほしがるような価値なんて、どこにも見当たらない。
 「そんなつもりはない。おまえを傷つけたいとは思わないし、無理強いもしたくない」
 シンタローはそんな優しい言葉を聞かされたら簡単に陥落してしまいそうでかぶりを振る。
 「ただ、おまえを愛したいだけだ」
 「やめてくれよっ!」
 「シンタロー」
 「これまでさんざん好き放題してきたじゃないか」
 なのに、マジックはまだ足りないって言う?
 「足りるわけがないだろう。私がおまえに満足する日がくるとはとても思えないね」
 飢えたまなざしがシンタローに向けられる。
 凍てつくような蒼の双眸が、色を濃くしている。
 獲物のように捕らえられ、シンタローの背筋に震えが走る。
 「おまえがおまえであればそれだけでいいんだ、シンタロー。他のことはどうでも関係ない」
 「………」
 「その指も髪も、睫毛の一本まで。私が愛さなかったところなどないはずだ」
 マジックの正しく掌中の珠だった。
 「おまえはわたしのものだったろう?」
 その一言がシンタローを呪縛して絡めとる。
 なんのために生きているのか。どうして生まれきたのかわからなくなる。この、悪夢のような夜の中で。
 それは、強烈な一言だった。
 「私のものになりなさい」
 「……っ…」
 そっと唇が重なる。
 「誕生日、おめでとう、シンタロー」
 おまえがいてくれてうれしいと。
 生きていてくれてありがとうと、マジックの声がシンタローを包む。
 「オレ…っ…」
 シンタローは泣いてしまいそうだった。
 生きていていいのだと。
 生まれてきてよかったと。
 たった一人でも、そう言ってくれたなら。
 そして、それがマジックだったら。
 狂気に堕ちても悔いはない。
 降りてくる唇を拒むことなくシンタローは口を開く。
 じょじょに激しさを増す口付けの中。
 マジックのものになってしまいたいと願う自分を今だけ許してもいいだろうかとシンタローは思う。







 きっとこの夜は、優しい月光の見せる夢だ。
 朝になったら、多分すべてを忘れているから。
 だから。
 シンタローは今だけでもマジックに愛されていると信じてみたいのだった。







03.9.29 UP
三月コメント;
PAPUWAアニメ化記念ということで、第1弾は万里子さんからパパ×シン小説いただきました。花音ちゃんへの誕生日プレゼントだったものらしいです。またもや強奪。もちろん花音ちゃんから許可はもらってます。二人ともありがとー。